ゆるやか100%

日々のあれこれをゆるやかに楽しくつづるブログ

2014年12月

さてゆっくりブログ書くかなと思ったらもう12月31日です…。12月は忙しかったですね。

このブログでもそうですが、自分はやっぱり自信がないので、人に迷惑かけているんじゃないかなということを非常に意識してしまうところがあります。いるだけで迷惑だとか発言するだけで人を不快にさせているんじゃないかとか、そういったことです。

ただ幸い、今関わりのある方がそういう視点で自分を見ていないことに気づき、すごくほっとしています。できないことを「そこはダメだ」と言うのではなく、できたことを「それいいね」と言っていただける感じです。きっとこういう方が本当の「大人」なのだと思います。

子どもの頃の教育環境では、結構できないことを指摘される割合が多かったように思います。できたことはできて当たり前で、できないところをなんとか埋めていくというやり方は、テストで点を取るには効果があることかもしれないのですが、心的なものと結び付けてしまうと「できないところがある自分はそれだけで…」と、無価値感を自分の場合は感じてしまい、それが今もどこか尾を引いているところがあります。

できることを認めていただけるということに本当に感謝しています。完璧ではないかもしれませんがいろいろと事情のある自分が60~80%くらいの出来でも、ベストを尽くして仕上げたものを評価していただいているというのは、本当に光栄なことです。

年末なので社交辞令的な要素も含まれているかもしれませんが、「今年はお世話になりました、来年もよろしくお願い致します」という些細なやり取りでも、なんとなく気持ちが伝わってくるところがあり、それを本当に嬉しく思いました。やっと自分が何か役に立てたという実感と、それよりもっと深いところにある、数値化できない部分を認めて受け入れていただいたように、今思っています。

こういうふうに人の良いところを認める人がたくさん世の中にいたら、社会は生きやすくなるように思います。人の良いところは数値化・可視化できないことがいくつかあります。優しいこと、誠実なこと、朗らかなこと、お礼を言うこと、謝ること、笑って許すこと……などなど。

人には当たり前に備わってる要素のはずです。それが自然にできるのは、その人が「自分がそうすることで自分だけじゃなく、周囲も笑顔になる」と信じているからです。マイナスのエネルギーに当たってもそれらが素通りするくらいのパワーを、上記の「数値化・可視化できない要素」は持っています。誰にでも備わっているパワーは自然に発揮されて、それが知らないうちに伝播していくものだと思います。

「毒にも薬にもならないブログ」と最初のほうの記事で書いています(笑)。でももし、たまたまこのブログを見かけた方がふっと肩の力が抜けるような、きっかけというほど大きなものでなくても、取っ手はあるよ、くらいのメッセージを感じていただけたら良いなと感じます。

きっと誰もが、誰かに良い影響を与えているんです。

昨日は雪が降っているのにも関わらず走ってきたのですが、あまりすっきりしていない状況です。風邪でも引いたかと一瞬思ったのですが精神状態が今あまり良くないのでそのせいだと思います。

多分体もいろいろ良くない部分あるんだろうなあと思います。検査しなければわからないというのももっともですが、そもそも検査しに行きたくないので放っておこうと思います。自然に任せておけばいい、と考えています。

ちなみに昨日雪が降る中走ってきたのは多少体の不調があっても体動かせば少し楽になるだろう、くらいの感覚です。自分の他に雪の中でもトレーニングのために走ったりすることがある方は路面にご注意ください。(笑)

雨降ってるくらいならそれほど足元に気をつけなくてもいいんですがね。雪は路面が凍結するのでかなり注意が必要だと思います。

寝るときは不安がかなり強くなります。明日はミスらないだろうか? 明日は上手くやれるだろうか? 今日よりも悪い日になったらどうしよう? 誰かを傷つけたり自分が傷ついたりするんじゃないだろうか? などなど。

予測されることに対して万全の準備をしたいと思うのですが、こういうことを話すと「全部に対応するのは無理だから、何かトラブルが起きたらそのときに考える」ということを言われます。理屈としては理解できるのですが、実体験として自分の中にないので、今は「そういう考え方も世の中には存在している」という感じでいます。

「信じる」というのは人間にとって重要な要素のようです。できると思えば(思い込めば)できるし、できないと思えば(思い込めば)できないという結果になるようです。やってみなければ結果はわからない、というのも一理あります。自分の場合はできないだろうなと思いこんでいるところがあるので、結果的に足場があと少ししかない崖の上で迫りくるものを、必死に押さえこんでいるような不安を強く感じます。

どうすれば明日が魅力あふれるものだと思える(思い込める)ようになるんでしょうね? 毎日イキイキしている方というのは、本当に明日がいいものだと信じて疑っていないという感じがします。だから、その通りの楽しい日が訪れるんだと思います。

少し思っているのは、「期待しないこと」かなということです。明日はたいして魅力のない日であって、でもその中でちょっと楽しかったり嬉しいことがあれば儲けもの、そもそもそれほどでもないのだから。という納得の仕方ができると思います。損するとわかっている賭けごとをやる感じに似ているでしょうか。

あとは、何かしなければいけないとか、言わなければいけないという期待はされていないと思い込むことなどが次点の対処思考になるかもしれないです。うまく行ったらラッキーで、そもそも確率としてはうまくいかないほうがパーセンテージとしては高いんだから、という思考です。

タイトルに書いたような状態になるには相当高い自己肯定感が必要になると思います。自己肯定感のリソースって何だ? 何が根拠になるんだ? と自分は思ってしまうのですが…。(笑)

年末進行で日々お忙しい方がたくさんいらっしゃると思います。自分もそのひとりです。忙しいし明日に対して不安だけれど、イライラ、ギスギスしても状況は同じです。

思考はマイナスに傾きがちかもしれませんが、それでも自分に無理をさせることより、決してプラスなポジティブな思考ではないかもしれませんが、穏やかに一定のテンションを保って日々過ごすために、忙しさが一段落する少しだけの間、こういう思考で乗り切ることできればいいなと思っています。

食事についての話題が続いたのでついでに乾麵について書きます。(笑)

素麺や蕎麦、うどんなどの乾麵は3~4食分まとめて茹でて、水洗いしたあとに1食分ずつ個別包装して冷蔵庫で保管しています。

だいたい素麺やうどんなら200グラムくらいずつが乾麵で買うときの1袋あたりの量だと思います。茹でるときに麺の量は何グラム、という決まりはまったくありませんが、売られているときの1袋を一度に茹でて保管するといった具合です。

お徳用の多い物は1袋あたり400グラムくらい入っています。それを1食分ずつ茹でるよりは、一気に1袋茹でてしまって、冷蔵庫で保管して2~3日の間で食べきるというほうが手間がかからないと思います。

コツは大き目の鍋で少し固めに茹でることです。保管の際は自分の場合はビニール袋を使っています。保管する素材はお好みでジップロックでも、ラップでもタッパーでも、使いやすければ何でも良いと思います。

保管しておいたものを食べるときは、今の寒い時期なら器に入れて電子レンジで少し温めてから、麺つゆとお湯をかけて、お好みで具を入れます。暑い時期はさっと水洗いして薬味で食べています。

乾麵の保管についてはこのようにしていますがパスタはあまりこういうふうに保管したことはないです。パスタに関しては食べる分だけ麺を茹でてすぐにソースをかけて食べるほうが多いです。少し作りすぎてもパスタはソースが水っぽくなければ麺が溶けることはあまりないので、素麺などと同じく大目に茹でますが、ソースをからめたあと2日程度で自分の場合は食べきれますので、茹でた麺だけの個別包装と保管は「水(つゆなど)につけておくと溶けるもの」限定です。





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先ほどの食事についてのことを書いていて、結構「誰かと食事をすることが幸せ」と思っている方が多いのかもしれないなと思いました。

実感としてある方はそれで良いと思いますが、当てはまらない自分のような人間もいるわけです。食事に限らず、他の価値観にも当てはまると思います。

いわゆる「常識的」な価値観です。もちろん尊重はしています。道を譲るとかの、人に対するちょっとした配慮や挨拶はとても大事なものだと思っています。それよりもちょっと複雑になる、「変わり者扱い」されてしまうような人々にいわゆる「常識的」な価値観のもとに求められる行動や考え方を当てはめようとすると、当てはめようとする方は「なぜうまく行かないんだ」と思うでしょうし、当てはめられた方は「それが当てはまる人間ではない」と不満を感じることでしょう。

最終的には適材適所なのでしょうが、まず「いわゆる常識的な考え方に自分を当てはめないほうが、幸せになれるんじゃ?」と気づくことはとても大事だと思います。自分のように誰かと食事をすることが不快の元だと気づいて、一人の食事のほうが幸せと実感する場合もあるでしょうし、それは人によって様々だと思います。

周囲は常識的でない考え方や行動を非難するかもしれないですが、そういう人々のいう通りにしたからと言って、幸せになれるとは限らないわけです。むしろ遠ざかることのほうが多いように感じます。

それでも、自分の確固とした幸せを感じるために、これまでインプットされてきた「常識的な考え方」を捨てて「自分なりの幸せにつながる考え方」を上書きして行くほうが、より実りある心の豊かさを作ることができると感じます。

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