ゆるやか100%

日々のあれこれをゆるやかに楽しくつづるブログ

2015年06月

ボタンダウンのシャツ(シャツの襟がボタンでとめるデザインもの)はカジュアルな着こなしをすることができる定番のアイテムです。

イラスト参照http://www.e-yamaki.co.jp/yamaki/shirts/top3_collar7.html

デザインは好きですが、実用の面でイマイチ…と思っているところがあり、自分の場合は襟のボタンを取り外して着ています。

せっかく付けてあるのにもったいないと思うのですが、洗濯した時の乾きが悪いので、取り外します。襟をとめてあるボタンを外すのではなくて、襟元についているボタンそのものを、カッターなどで縫いつけてある糸を切って取り外します。

襟元についているボタンの後ろに、台紙のような小さい厚みのある生地が一緒に縫い付けてありますが、あれがなかなか乾かないんですよね…。乾燥機を使う方もいると思いますが、自分は「洗濯物は吊るしていれば気がついたら乾いている」というのが理想ですので、乾かすのに手間をかけなくて済むようにしたいです。

どっちみち取り外してしまうんならボタンダウンのシャツではない、普通のデザインのシャツを買えばいいだろうという意見もあるでしょうが、色や在庫サイズの有無でボタンダウンシャツを選ぶことがたまにあります。

自分が買うものは決して高い品物ではないし、服に関してはおしゃれさやデザインよりも、毎日の服の手入れ(洗いやすい、乾かしやすい、シワにならない)が簡単にできることを優先して選びたいタイプです。









人間はされてきたことをする、という仕組みでできているようなので、あまり育ちが良くなくて大切にされて来なかった人間は、人に思いやりを持って接することができないんじゃないか?と考え、自分の行動の発端になっている「思想の前提」に気がつくために内観日記というカテゴリーを作っています。

SNSは興味がないのですが、もし積極的にやっていたら、自分では常識と思っている事でも、世の中の人から見たらズレている、ということをしているのが明るみになるんじゃないかと思います。

ここでいう常識とは「人との接し方」に主に関連します。世間的に常識とされている事でも、相手によって不快になるので、自分はまず「その人が何をされたら嫌なのか?」を明確に把握したいです。たとえば、親愛の意味を込めて体に触ることが、相手にとってはトラウマを想起させたりする場合もありますので、付き合いが悪いとか愛想がない、と勝手な感想を言う前に、前提となる「その人の快、不快」を明確にしておきたいです。

自分の場合は用もないのに触りたくないですし、触られるのも避けたいです。なぜならば、と説明するなら、「子どもの頃に暴力を受けた経験があるから、想起させる出来事を避けたい」ということができます。直接の理由である、それだけが理由ではないのだろうと思いますが、自分の場合はこうです。

暴力を受けてきたので、暴力を使うことはいけないことだと後天的に学習しましたが、暴言を言ったことはあります。自分では、傷つけよう、貶めてやろうと意思を持って……つまり「もっと苦しめ!」という意思を持っていたわけではないですが、母から「あなたが言うことは(的を射すぎていて)きつい、言い返せない」と言われたことがあります。

感情的に話すよりもできれば理論的に話したいので、そうではない人からしたら「言い返せない」となってしまうものかもしれません。自分では無意識にやっていたことですが、自分の考えを言うときは特に、「どうもこれは言わないほうがよさそうだ」と、まず言葉を出す前に一旦頭の中で言っていいかどうか(和、または輪、を乱さないものであるか)を考えてから、OKと思ったものを口に出すようになりました。

しばらく経ってから、いうことを一旦頭の中で考えて……というプロセスは多数の人はやっていないようだし、そうすることで心身に不調を作る結果になりました。

自分はそうやって無意識に人を傷つけているかもしれないわけです。免責事項になるとは思いませんが、そういうふうになってしまう理由は、ひどい扱いを受けてきたからだといえます。世の中の人がすべてそうだとは思いませんが、これに気付かないで「ひどいことをやっているのに、それがひどいことだと気づいていない」というパターンも多いのではないかと感じます。

自分が暴力を受けてきたという、その経験は変えられないのですが、「あ、今、かつての基準(子どもの頃)で物を言ったかも」と瞬間瞬間に振り返ることはできます。○○だから○○に決まってる、それ以外の考えはない、という態度をとるのは簡単なのでしょうが、そういう態度や対応、認識の仕方では「ひどいこと」の世代間再生産が起きてしまうだけです。せめて気づいて、少しでも振り返って、「これは相手にとって、そして自分にとって本当に快適か?」と問うことはできると思います。

それによって何が起こるかというと、「ひどい扱いを受けてきたかつての自分の姿」を思い出すことになります。つらいことです。これを避けたくて、暴言や暴力が連鎖されて行くのだろうと思います。世の中から暴言や暴力が無くならないのは、暴言や暴力を受けていたかつての自分を見たくない人が大勢いるからかもしれない、と少し思います。

気づいているだけでもいいと思うのです。かつての自分を許し、認め、慰めることが本来の意味で(自分のために自分で)できたら、外側にひどいことをしなくて済むようになるでしょう。

シェアハウスが流行っているようですが、自分には住めないと感じます。シェアハウスは家賃の安さや、同じところに住む人々との交流というものも住む目的となっているのでしょうが、自分が優先したいのは「一人で確実にリラックスできる空間」です。

ですので、鍵のかかる寝室が必須です。実家で家族と住んでいたときにも、自室に鍵を付けたかったものです。プライバシーを守るのももちろんありますが、「寝ているうちに親に殺されたらどうしよう」という不安が強くありました。寝ている間は文字通り意識がなく無防備ですので、不意の攻撃には対処できません。そういう心的な背景もあり、とにかく安心して寝たいのです。

あとは自分専用の水回り、お風呂場とトイレと流し台を確保したいです。お腹が弱いのでいつでも待たずに使えるトイレが欲しいので、同居人がいたら一人1個ずつ欲しいです。自分専用、同居人専用というような。掃除は自分で使うところは自分でします。こちらが向こう専用のに入ることはないし、掃除もしません。自分が使うところは自分で掃除をします。

お風呂場と流し台に関しては待たずに使えるのはもちろんです。暑かったり体が汚れたりしたときや、服に汚れがついて洗濯機に入れる前に予備洗いしたいときなどにいつでも自由に使えることが必須です。お風呂場は洗濯物を付け置きしておくときの置き場にもなるので、そういう使い方をしても全く問題ない(=付け置きのタライが邪魔だ、とか言われない)環境がいいです。

人と使うものを完璧に分けたい、自分のものを自分だけで使いたいという欲求があります。うろ覚えなのですが、以前、声優の佐藤利奈さんが「誰かと一緒に住んだら、自分が使う玄関(A玄関)と自分以外の家族が使う玄関(B玄関)を分けて、自分は自分だけの玄関(A玄関)を使いたい」とラジオで話していたことが記憶にあるのですが、これにとても同意しました。

自分の場合は玄関に限らず、寝室、水回り、日用品の置き場所など徹底的に分けたいです。もし同居人がいるなら、同じマンションの別の部屋に住んで、用事があるときだけ接触を持ちたい「http://yuruyaka-100.seesaa.net/article/409347508.html」参照です。

血縁のある家族との流し台などの共有でさえ不快だったのに、プライベート空間の確保が難しいシェアハウスでやっていくのは自分には無理です。逆に言えば、プライベート空間(自分専用の鍵のかかる部屋、水回り、誰からも触られることがない日用品の置き場)さえ確保できるのであれば、快適に過ごせます。

子どもが苦手ですが、その理由はなぜかというと、「暴力を使う関わり方しか知らないから」ということができます。今は幸い、面倒を見なければいけないような「子ども」という存在は自分にはいませんが、もしいたら虐待しているんじゃないかと思います。

子どもに対してどう思っているかの記事
・子どもと接するときにかがんで視線の高さを合わせればよかった
自分の成育歴の記事
・親の介護はできない

子どもへの接し方がわからないです。それは自分が子どもの頃、暴力を受けて育ってきたからでもあるし、そういう接し方をされていたので、それ以外の接し方を知らないから、という理由があります。

必要のないときに大声で威圧感を与え、リラックスしているときに暴力を振るい、「大したことがない」と思っている感覚で傷つけ、怪我をさせる。こういうことを経験してきました。子どもの頃にこういう経験をした大人なので、今「子ども」という年齢の人に対して同じことをしない確証はありません。怪我をさせるかもしれないし、何気なく発言した言葉で傷つけてしまうかもしれないし、大人全体に対し、失望させてしまうかもしれません。

ですので、子どもとはなるべく関わりたくないし、物理的に距離を置きたいです。

幸いペットの世話くらいはできるのですが、後天的に学んだことです。衛生状態や食事など、「こういう状態がベストである」という情報がマニュアル化されているから、その通りにすれば、まず間違いはないという、一種のデータをもとに行っています。だから、小さな変化に気づいて「体の具合が悪いんじゃないか?」とか、「もっと○○してほしいんじゃないか?」と気づくのにワンクッション入らないと(一旦考えないと)理解できないのです。

今はまだ余裕があるからいいのですが、(気持ちの面で)余裕がなくなると「どうしたらいいのか?」が瞬時に頭に浮かばなくなります。もし、子どもに「頭が痛い」と言われたら、「じゃあ氷嚢を当てよう」という発想に至るまでに時間がかかります。頭が痛い、だけで読み取ることのできる情報が限られているというか……。

このブログ内を「子ども」というキーワードで検索すると、自分が持っている、子どもに対する考え方が少しおわかりいただけるのではないかと思います。

マウスの形状は有線の量販品でまったく問題ないです。今使っているのも一般的な感じで1000円もしていなかったと記憶しています。

マウスの参考画像

長時間PCに向かう人は、手に馴染むようなデザインのものを使っている方もいらっしゃるかもしれません。ちょっと特殊な形状のマウスは使ったことがないですが、形を見ているだけでもおもしろいです。

個人的には、上記のような握るようなかたちのものもおもしろいとは思いますが、人間の手によくなじむ曲面は犬の顔の側面だと思っています。(笑)

犬の顔の側面(頬のあたり)に手を添えると、「違う遺伝子なのにどうしてこんなにぴったりフィットするんだろう!?」というくらいに、ぴったりフィットします。ネコでもフェレットでもいいと思いますが、人間の手首から指の付け根までの、てのひらの大きさが約10センチとして、中型犬くらいの頭部の大きさがジャストフィットだと思います。

非常によくなじむ犬の顔の形状を、しょっちゅう触る必要があるものの形に応用すればいいと思います。その代表的なものが、PC操作に必要なマウスです。

現在はタブレットなどがありますから、画面スクロールは画面に触るようになっていますが、今後「視線追尾認証」みたいな機能が当たり前になり、画面を視線で追っているだけで行きたいページが見ることができてしまう、というのも出てくるのだろうと思います。

そうなると、マウスでクリックするというの自体が古い機能となり、だんだん使われなくなっていくのでしょうが、その過渡期に、使いやすいマウスの形状を追求するのだとしたら、その形状は犬の顔の側面がいいな、と個人的に思っています。(笑)

最近のPCは使いやすい形状のもの、洗練されたデザインのもの、というのが当たり前になってきているので、周辺機器も人間の手に馴染み、かつスタイリッシュなデザインという方向にいくと思います。デザインを決める際には、使いやすいもの、長時間触っていても疲れないデザインのものから製品化されていくのでしょうが、自然な曲線であるという点も大事だと考えます。

犬の頭部骨格だけでは人間の手に馴染まなくて、筋肉と毛並みがあって初めてフィット感が出てくるものだと思いますが、触ったときの曲面を数値化すればかなり人間の手に馴染む物が作れると思います。

ボールのようにすんなり丸いものは製造工程のコストがかからなくて良いと思いますが、形にこだわって作るところが出てくるなら、身近なものが案外、製品開発のヒントになるでしょう。

これは多分、猫を飼っている人なら猫の後頭部がいいという意見になるだろうし、鳥を飼っている人なら鳥の身体の部分がいいという意見になるでしょうw。数種類の動物がもつ体の曲面で、どの動物が一番人間の手に馴染むのか? を研究してみてもおもしろいんじゃないかと考えます。

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