嫉妬が根底にあるというのはわかる気がする / #ibaya 断捨離2.0 https://t.co/mxgCcWHZph
— ゆるやか100% (@yuruyaka100) 2016年3月27日
『嫌われる勇気』では怒る人は怒りたくて怒ってるということが書いていました。その場合は自分がやったことに対してではなく、自分は相手の怒りのきっかけになっただけという理解をする / #ibaya 断捨離2.0 https://t.co/mxgCcWHZph
— ゆるやか100% (@yuruyaka100) 2016年3月27日
坂爪圭吾さんが配信していたツイキャスを視聴していました。コメントを見ていた坂爪さんが、途中で「ゆるやか100%さん」と言っていたのを見て、「おお、名前を呼んでくれた!」と、ラジオに投稿したお便りを読まれたときのような感動を覚えました。(笑)
坂爪さんが放送の中でおっしゃっていた、
・女性から褒められている坂爪さんに対し、それを見ていた男性が嫉妬して坂爪さんに批判的なことをいう
・「お遍路に行きたいけど、今は子供がいるから無理。老後に行きたい」といった女性に対し、「本当に行く気があるのかどうかが疑わしい。また、子どもがいるから無理ということに対し、子供が『自分はお荷物だ』と思ってしまう可能性がある。『今は子育てがしたい』という言い方ではだめなのか?」といったこと
が印象に残りました。
今回は失敗談的(?)な、「批判的なことを言われることに対しての坂爪さんの反応」という内容でした。坂爪さんはブログの中でもときどき「坂爪さんを嫌っている人」のことを書いています。
女性から褒められている坂爪さんに対し、それを見ていた男性が嫉妬して坂爪さんに批判的なことをいう
個人的には「坂爪さんを嫌っている人」というのは、組織で働いていたりする人なんだろうなと思います。いわゆる一般的なサラリーマンというか。また、上記の「女性に褒められる」ところに反応していることから、独身の人が多いのかなとも思います(笑)
他ブログで「批判コメントを繰り返す人(数回に分けられていましたが、文体が同じなので同一人物)」を見かけましたが、その人は「管理人がほかのコメント者から褒められたり感謝されたりしていると批判コメントをする」という形態でした。
坂爪さんへの批判にも、同じ力学が働いているのだろうなと思います。「それはおかしい」と言っているのは、発言者が言っていることそのものにではなく、「(他者からの評価を得ていることが)おかしい」という気持ちが根底にあるのでしょう。もう少し別のところから見ると、「(俺のほうがあいつより立派なのに、あいつだけ褒められるのは)おかしい」という気持ちもあると推測します。
この推測が合っているとすると、坂爪さんの行動や考え方そのものは批判されるものではないでしょう。実際に批判されて、それが法に触れていることだったら批判者より先に警察なりが来るでしょうし。
この場合の、「女性から褒められている坂爪さんに対し、それを見ていた男性が嫉妬して坂爪さんに批判的なことをいう」に対しての解決法は、「批判者本人に女性をあてがう」かなぁと思いました(笑) 冗談も半分ですが、本気も半分です。もしかしたら批判者の方にすでにパートナーはいらっしゃるのかもしれませんが、褒めてくれる女性がいるならわざわざ坂爪さんを批判している選択肢はないでしょうし。
あとは……もし、坂爪さんを褒めた女性の方に余裕があれば、坂爪さんを批判する人を見かけたらその人のことも褒めておく、というのが対処法の1つかなと思います。(笑)
女性「坂爪さんはすごいですね!」坂爪「ありがとうございます」男性批判者「いやいや、坂爪さんのこういうところはおかしいでしょ」←こういうパターンになったら、女性が「でも批判者さんもこういうところがすごいですよね!」と言う……という対処ができればいいのかなぁと思います。
何か犬や猫の多頭飼いの飼い主さんの話(褒めるときは一匹だけ褒めるのではなく、両方に声をかける)のようにもなっていますが、ストレングスファインダーの調和性の視点(?)から対処法を考えてみました(笑)
「お遍路に行きたいけど、今は子供がいるから無理。老後に行きたい」といった女性に対し、「本当に行く気があるのかどうかが疑わしい。また、子どもがいるから無理ということに対し、子供が『自分はお荷物だ』と思ってしまう可能性がある。『今は子育てがしたい』という言い方ではだめなのか?」といったこと
これに対しては、自分も同じことを思っていました。この例だったら、「自分がいなくなれば、お母さんはお遍路に行けるんだ」という解釈をしただろうなと思います。
坂爪さんが「本当に行くつもりではないのでは?」ということより強調していた、「『今は子育てがしたい』という言い方のほうが適切」というのは鋭い視点を感じました。それで救われる子供は何人いるんだろう、と希望を持てる思いがしました。
「子供がいるから無理」という言い回しはよく使われることと思います。子どもがいるからやりたいことは我慢しなければいけない、というのも状況としては起こりうることが多々あるでしょう。ですが、坂爪さんが言ったような「言い回し」は工夫していってほしいと自分も思います。かつて、「自分がいなくなれば親は苦労をしなくて済む」と思った子供の一人として、です。
決してお遍路に行くことを責めているわけではありません。行きたいなら行ってほしいと思います。そして、私は行ったほうが子供や家族のためにもなると思うんですよ。子どもを連れて一緒に行ってもいいと思います。それだけの思い出を作るほうが、家族の歴史に残るし確実にハッピーだと思うのです。
「普通はこうだよね」という枠の中で考えると、やはり出てこない考えがたくさんあると思います。坂爪さんが思っていることは「普通」の枠組みを超えた鋭い部分を見落とさずにいられる、(言い方としてはよくないかもしれませんが)優秀なツールであると思います。
「こういう見方があるんだ!」という、まったく別の視点からの意見は、ときに反発される場合もあるでしょう。ですが、坂爪さんの見方を知ることで自分が見落としている部分を知ることもできると思うんですよね。ときにそれは「傷つく」場合もあるかもしれませんが、「気持ちの循環」は確実に起こっています。
ちなみに記事の最初のほうに張った『嫌われる勇気』を基にした私のツイートに坂爪さんがコメントをしなかったことに対してほっとしています。「腹から言っていないと入ってこない」とおっしゃっていましたが、このツイートはどちらかというと「頭から発した」ものです。文面が長かったために読みにくくて入らなかったのか、「腹からの意見じゃないので入らなかった」のか、証明はできないですが、「注目されなくてよかった」と思いました。ほかのコメントも飛ばしたものがありましたし、まぎれてよかったと思います。