今日は「これぞ恩送り!」な出来事がありました。
コンビニで買い物を終えて出入り口のドアに私が近づいたとき、前にいた人が、後ろにいた私に気を遣ってドアを開けておいてくれました。(コンビニのドアは手動で、90度の角度で開けっ放しにしておかないと勝手に閉まってしまうタイプです)
「ありがとうございます」という感じでそこを通ろうとすると、お店の外には段ボールを両手で抱えた人が立っていました。私はドアを通りえたあとでしたが、ちょっと戻ってドアを開け、段ボールを持っていた人が通りやすいようにドアを開けておいて、その方が通過し終えてからドアを後ろ手で閉めてお店を出ました。
お店を出てから、「これが恩送り(ペイフォワード)だな!」と思いました。以前書いた記事ではスタバのコーヒーを送り合う例を挙げましたが、今日の出来事は「ドアを開けておく」が送られ続けた例だなぁと感じました。
前の人がドアを私のために開けておく→開けておいてくれたドアを、私はさらに次の人のために開けておく→次の人が気持ちよく通ることができる、という見事な循環でした。
これがお金だったら? と考えると、経済の仕組みも「交換」から「循環」へと移っていったら、相当に楽しく、ラクなものになるだろうなという気がします。だって、こう考えてみてください。前の人がすでに私の分の支払いを済ませていってくれたんですよ?
そしてもし、自分は前の人に奢られたまま店を出てもいいし、前の人がしてくれたように次の人の分を自分が払ってもいい、という選択肢を与えられたとしたら、「あぁ、次の人の分を払おう。そして『すでに払ってもらった安心感』を、次の人がそのまた次の人にまわしていってくれたらいいな」と、自然と考えるようになりますよね。
この考え方をすると、前に書いた記事のnoteのクリエイターサポート機能でGenkiさんに寄付をさせていただきましたーーCtoC募金の可能性は、恩返しというよりも「恩送り」といったほうが合っているのかもしれません。
東北震災での被災者だった私は、いろんなところから集まった寄付や募金、そのほかの支援で今、震災前と変わらないで生活ができているんですよね。(私個人にお金が集まったのではないですが^^; たくさんの方が出してくれたお金で壊れた町が直っていくのを見ています。震災後、建て替えたり新築した建物が近所にあります)
すでに、みなさんから支払われているんです。この「安心感」があるから、現在熊本にいる方に寄付をするという方法をとることができたのだと思います。
月々の携帯代や電気代その他にばかり関心が行きがちですが(笑)、この「すでに支払いは済んでいる」安心感は、現在の「交換」を軸にしている経済の考え方では得にくいものでしょう。ペイフォワードという概念は、私が目にしている限り、インターネット上の一部か少ない映画作品で取り上げられているくらいですが、もっと広まって一般的になっていい考え方だと思います。
コンビニで買い物を終えて出入り口のドアに私が近づいたとき、前にいた人が、後ろにいた私に気を遣ってドアを開けておいてくれました。(コンビニのドアは手動で、90度の角度で開けっ放しにしておかないと勝手に閉まってしまうタイプです)
「ありがとうございます」という感じでそこを通ろうとすると、お店の外には段ボールを両手で抱えた人が立っていました。私はドアを通りえたあとでしたが、ちょっと戻ってドアを開け、段ボールを持っていた人が通りやすいようにドアを開けておいて、その方が通過し終えてからドアを後ろ手で閉めてお店を出ました。
お店を出てから、「これが恩送り(ペイフォワード)だな!」と思いました。以前書いた記事ではスタバのコーヒーを送り合う例を挙げましたが、今日の出来事は「ドアを開けておく」が送られ続けた例だなぁと感じました。
前の人がドアを私のために開けておく→開けておいてくれたドアを、私はさらに次の人のために開けておく→次の人が気持ちよく通ることができる、という見事な循環でした。
これがお金だったら? と考えると、経済の仕組みも「交換」から「循環」へと移っていったら、相当に楽しく、ラクなものになるだろうなという気がします。だって、こう考えてみてください。前の人がすでに私の分の支払いを済ませていってくれたんですよ?
そしてもし、自分は前の人に奢られたまま店を出てもいいし、前の人がしてくれたように次の人の分を自分が払ってもいい、という選択肢を与えられたとしたら、「あぁ、次の人の分を払おう。そして『すでに払ってもらった安心感』を、次の人がそのまた次の人にまわしていってくれたらいいな」と、自然と考えるようになりますよね。
この考え方をすると、前に書いた記事のnoteのクリエイターサポート機能でGenkiさんに寄付をさせていただきましたーーCtoC募金の可能性は、恩返しというよりも「恩送り」といったほうが合っているのかもしれません。
東北震災での被災者だった私は、いろんなところから集まった寄付や募金、そのほかの支援で今、震災前と変わらないで生活ができているんですよね。(私個人にお金が集まったのではないですが^^; たくさんの方が出してくれたお金で壊れた町が直っていくのを見ています。震災後、建て替えたり新築した建物が近所にあります)
すでに、みなさんから支払われているんです。この「安心感」があるから、現在熊本にいる方に寄付をするという方法をとることができたのだと思います。
月々の携帯代や電気代その他にばかり関心が行きがちですが(笑)、この「すでに支払いは済んでいる」安心感は、現在の「交換」を軸にしている経済の考え方では得にくいものでしょう。ペイフォワードという概念は、私が目にしている限り、インターネット上の一部か少ない映画作品で取り上げられているくらいですが、もっと広まって一般的になっていい考え方だと思います。